なんとなくテレビをつけたままにしていた。夜中3時を過ぎてもあちこちチャンネルを回してみたが、どのチャンネルも何もしていない。といってもいわゆる『砂の嵐』ではなく、各局とも、固定のカメラで街の様子を写し出している状態だった。
「んー、今日もまた眠らないまま夜が明けていく」
と思いながら各チャンネルを回していると、ふとテレビ大阪の画面で手が止まった。よその局はかなり広角で“街全体”を映しているのに、ここはまた随分とズームでどこか大阪の“道”を映している。片側三車線の道路のいちばん左に止まっている車もはっきりとわかる。
と、その車がそろそろとバックし始めたではないか。私は、思わず「何してんのん?」と興味をそそられてしまった。バックを始めたその車は画面の左下ギリギリにまで来て止まり、中から、見たところ20歳前後の男の子が4人出てきたのだ。そして街灯の当たっている歩道をぶらぶらしたり、また車に戻ったり…。どーも、挙動不審で、ますます興味をそそられる。
「いったい、あの子達はさっきから何してんの?」
なんだかおもしろくなってきた。私はすっかり彼らを見守ることにした。すると彼らのうちの2人が、なんと歩道にシーツを敷いたかと思うと、そのシーツをかぶって歩道に寝ころんでしまったではないか。
「おお。これはカメラをはっきりと意識したパフォーマンスだ!」
それから彼ら4人のなんとも楽しい“公演”は、約30分続いた。
横一列に並んでラインダンスをしながら横断歩道を渡る。手をつないで扇状に拡がったり、たて一列に並んで4人の上半身が時計周りに動いているようにみせるという、小・中学時代に誰もが運動会で一度はしたことがあるマスゲームを披露する。傘を持ってチャンバラごっこを展開する。そして何処から持ってきたのかノボリらしきものを振り回し、果ては、そのノボリでリンボーダンスまで見せてくれる。その動きは本当に楽しそうで、「ああ、いいものを見せてもらったな」とこちらまで、ちょっとうれしくなってしまうほどなのだ。
とりたててストーリー仕立てになっているとか、綿密な計画に基づいてやっているようには見えないが、なぜ私が“公演”と思ってしまったのか。それは、こうしたパフォーマンスの初めと終わりに、4人揃ってカメラにまっすぐ向かって礼をするという礼儀正しさ。そしていろいろな小道具も準備している心憎さからだろう。残念ながら声までは聞こえないが、この聞こえないということがかえって、想像力を駆り立ててくれるのだ。
「きっと『次はこんなんしようぜって』相談しながらやってるんだろーな」。
やがて彼らは4時21分、車に乗り込んで、画面の左上に消えて行ってしまった。
阪神淡路大震災の数カ月後、余震も大分落ちついた頃のこと。NHKでも、こんなふうに三宮の風景を映し出していた。そのカメラが写し出すポイントは、ウチから歩いてほんの3分くらいのところで、「お、今日も映ってる。ちょっくら行って、私もカメラに向かって手を振ってみるかな」と冗談を言っていたものだが、この日私たちが見た“テレビ大阪の固定カメラに映った青年4人組”も、きっとテレビを見ていて、こう思ったに違いない。
「お、あれは○○の通りやんけ。行ってみよ、行ってみよ」。
しかし、こんな時間にこんな模様をこんなに一生懸命見ている私って…。と思っていたら、案外、みんな見ているものなのかも知れない。彼らのパフォーマンスのあとも、少なくとも2組の若者が、わざわざ映りに来ていた。
ただ残念なことは、5時になると同時にその街角の映像は消え、カラーチャートに変わってしまったことだ。そしてもっと残念なことに、翌日の放送終了後のテレビ大阪の固定カメラは、違う風景を映し出していた。今度は、他の局と同じくグッと引きの映像で、高速道路か何かを、遠くから映している映像だったのだ。局内で、昨夜のことが問題になったのだろうか。ちなみに、今年のテレビ大阪のキャッチフレーズは『なにすんねん、テレビ大阪』だ。でも、でも。うーん、あの“公演”の続きを、もっと見たい。